町田まいにち

30代、仕事を辞めました。実家を出ました。

江國香織/小説感想/孤独な大人に近づいたので

江國香織『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』2005年2月25日集英社発行。文庫で発売されている短篇集です。

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江國さんの文体がすきです。文章がさらさらしていて、見たことのない順番や書き表し方なのに、なぜかこの感情知ってる、とか思わされてしまう不思議。

 

表題作は、いちばん最初に収録されています。

祖母の見舞いに来た母と私、妹。父親はとうに亡くなった、ばらばらに暮らす三人の家族。一度結婚して離婚した妹、ろくでもない男に財布から金を抜かれた私、いい男を引きあてたのは自分だけだったと言う母。見舞いを終えて、海が見える高台のレストランで白ワインをのみながら談笑していて、ふと私は思い出す。 

It's not safe or suitable to swim.

ふいに、いつかアメリカの田舎町を旅行していて見た、川べりの看板を思いだした。遊泳禁止の看板だろうが、正確には、それは禁止ではない。泳ぐのに、安全でも適切でもありません。

私たちみんなの人生に、立てておいてほしい看板ではないか。

かなしいことを笑ってやりすごしてきた、たくましい女たち。 人生は、泳ぐのに適切な場所でもなく安全に泳げる場所でもない。それでも、ということだと思います。

 

さて、わたしはこの短篇集のなかでは「うんとお腹をすかせてきてね」がずっとすきだったんですけど、今日は「サマーブランケット」の話をします。大人になって刺さるようになった、気がする、一篇。

砂だらけの海辺の家に老犬と暮らしている女性の夏の日。ただしずかな生活のなかに、大学生の、恋人同士の男女がやってくるようになって一年。

 

かわいた砂浜の匂いとか、遠くのほうがきらきらした海とか、なんかそんなに描写があるわけでもないのに、その風景の全体が白っぽい感じとかが浮かぶんですよね。

大学生の男女、大森くんとまゆきちゃんのふたりは、のびのびしていてあかるくって、「胸のすくような厚かましさ」を持って海辺を訪れ、老犬マリウスと遊んだり、買い物を手伝ったりしてくれます。

ふたりがまぶしくて、ずっと遠いものに感じられる、その目線で読めるようになったのはわたしが大人になったからだなあ!と先日気づいて、ずいぶん驚きました。大人に、というより、孤独な大人に近づいたのかも、とも思いました。裕福に暮らしていて、両親の遺産でこの家を買い引っ越した“私”、道子さんは、さびしいなんて一言も書いてないけれど、たぶんさびしい。

 

十年以上妻のある男性を真剣に愛していた過去もある。でも、ただそれも過ぎたこと。両親を失ったときに、鬱のようになって、薬をのんで、でも海辺に引っ越してからは薬をのまなくなって。

「マリウスが死んだら、私を地上につなぎとめるものは何もなくなる」と思っている。

海辺の家は、私そのものみたいだ。窓も戸もあけっぱなしで、砂だらけで、ただじっと建っている。壊れるときまで、何年も何年も。

 変わることをやめてしまった、ただそこにいることを選んだ、海辺の家。

 

サマーブランケットの紺色とオレンジが不意に鮮やかで、映画だったらどんなにセンチメンタルな作品になるだろうと想像します。でもできればそんなに感傷的になりすぎずに、綺麗な景色がたくさんある映像だといいなあ。色調は抑えめで。

 

孤独な大人に近づいてその目線で読めるようになった、と格好つけて書きましたが、それはわたしにとって別に悪いことではなくて、前よりこの短篇がすきになりました。共感できると言いたいわけでもないので、単にいくらか想像できる大人になったのかもしれません。